【SPECIAL INTERVIEW】ルカ・パガネッリが語る、 "画になるコート"創作の源。
2016.12.22
「ルカ・パガネッリが語る、"画になるコート"創作の源。」
今年2016年の春夏コレクションで日本に本格上陸を果たしたPALTÒ(パルト)。
今季秋冬では目の肥えた業界バイヤーの間ではもうすでに愛用者が続出中と、新星ながらもとても完成度の高いコレクションを発表した。
"PALTÒ HOMEPAGE"
まだブランドとして日が浅いのにも関わらず、クラシカルな雰囲気と現代のトレンド感を絶妙にミックスして円熟すら感じさせる"オーバーコート"を創作する若手デザイナー、Luca Paganelli(ルカ・パガネッリ)とは一体どのような人物なのか?
独立前の勤務時代に出会った有名メゾンブランド・デザイナーの知られざるエピソードからブランドのインスピレーション源とも言える映画の話まで、独自の視点でフレンドリーにテンポ良く話す彼のストーリーから魅力を感じ取ってもらいたい。
>Luca 経歴を簡単に教えて下さい。それから、 子供の頃のことや何に興味があったかなども。
ルカ:「両親が服の会社(Peuterey)をやっていたため子供の頃からいつも服に囲まれた環境にいた。
普通科の高校を卒業後(イタリアでは通常、高校から専門分野に分かれている)、フィレンツェにあるファッションの学校に行った。
その後1年間、ロンドンにあるセント・マーチンズ芸術大学へ行き、トムフォードで働くことになったんだ。
トム自身はグッチでデザイナーをした後、彼自身のブランドを立ち上げ、ロンドンにオフィスを構える。
自分はそこで人生初となる仕事を経験したが、とても厳しい環境だったため最初は大変だった。
トムは、時間や整理整頓にすらひとつひとつに厳しく、マニアックな程几帳面だった。」
例えば、冷蔵庫の中のコカコーラやシュエップスはすべてきっちりとラベルが同じ向きに並んでいないと彼は機嫌が悪かったし(笑)、
あと文房具専用の部屋があったのだけど、ペンや封筒など全てにトムフォードのロゴが入っていて、完璧に整っていた。
常に、“Super”綺麗でいい香りを漂わせて、オフィスはまるでお店のような空間だったよ。」
>その環境にはすぐ慣れたの?
ルカ:「簡単ではなかったけど、すぐ慣れたよ。
1年間トムの元にいた後、
そこはトムフォードとは真逆だった(笑)
整理整頓はなっていなくて冷蔵庫の中は汚かったし(笑)
デザインオフィスで働く人たちはショ—
環境としてはとてもクリエイティブなカラーが強かった。トム・
>どっちが好きだった?居心地が良かったのは?
ルカ:「エネルギッシュな意味ではマックイーンが良かったし、
両方それぞれ良かったと思う。
トムフォードではコミュニケーションやPRなどの仕事に携わるこ
その後イタリアに帰って両親の会社で働くことになり、
> PALTÒを立ち上げたきっかけは?
ルカ:「ずっと自分のブランドをやりたいという夢があり、
コートって、
当時ダウンジャケットばかり流行っていたけど、
というのは、
コートが持つエレガントな雰囲気と、
> PALTÒの魅力について教えて下さい。
ルカ:「PALTÒは美しくエレガンス、
トムフォードとマックイーンでの経験も経て、
それと、映画も好きでそこからも影響を受けた。内容、俳優、
イタリア、ニューヨーク、パリ….
それにより映画がコートに価値や重要性を与えているとも考える。
実際、前回のPITTI UOMOでのプレゼンテーションでも映画の中におけるコートの価
同時に俳優の数だけコートが存在すると言ってもいいほど映画から
>PALTÒの名前に由来ってあるの?
ルカ:「PALTÒはかつてのイタリア語でエレガントな紳士淑女の着る「
モデル名についてはすべてイタリア人の名前になっている。
イタリアでは祖父など先代の名前を繰り返し使うことがあって古く
>モデルの特徴によって名前を決めるの?
ルカ:「そう言う訳じゃないんだけど…
>最後に、、日本の好きなところを教えて!
「ヨーロッパ、
まず服について、日本人のセンスは一番だと思うし、
素材への興味、商品へのケアなど、
違う文化ではあるけど、
あと何か特殊なもの、
言ってみればイタリア人の方がもっとスタンダードな、
文化を考える時は日本人って内向的なイメージがあるけど、
そして、文化的にはイタリア人、ヨーロッパ人は日本人の教育、
日本人のゲストへのもてなし方はヨーロッパではなかなか考えられ
それがすごく勉強になったよ。」